私が生まれた1946年(昭和21年)は太平洋戦争敗戦の翌年で、その時母は23歳、終戦時は22歳である。私の22歳といえば大学4年で、まさに我が世の春を謳歌していたバラ色の青春だった。
時代の犠牲者である母の生きざまを心から尊敬している。
私は祖父と祖母の子として小学校5年生まで育てられたので、祖父をお父ちゃん祖母をお母ちゃん、母をお姉ちゃんと呼んでいた。
小学校2年の時に母は「お染」という店を元浜に新築し開店して、母の家を「店」お爺ちゃんの家を「裏の家」と呼んでいた。
私は裏の家で暮らしていた。
そして小学5年生の時にお爺ちゃんが亡くなり、入れ替わる様に妹が生まれて、そのとき母の長男として母の戸籍に入り、お店の3畳の小さな部屋で暮らす事になったが、いつも裏の家でお婆ちゃんといっしょだった。